日記祭


朝、スマホが日記祭を知らせる。
トークショーのインスタライブをメモしながらみた。
「個人サイトを立ち上げて日記を書く」
「他者に日記を公開することについて」どちらも興味のあるトークテーマ。

以下メモ。
・noteやTwitterなどプラットフォームから離脱したところで自分だけの星をつくりたい、
外部から自分の日記を遮断させたい。
→でも公開するのはなぜ?→公開しないと続かないから。
日記、最初はかかされるものだった(夏休みの宿題とかで)
今は自分のために書いてる。自分で自分を監視してる。公開することで人に自分を監視してもらう。夏休みの宿題を先生にチェックしてもらうようなもの。公開することでカクヨム+管理・監視がセットとなる。書くことに義務感がうまれる。
・日記を書くことで日常生活にセンサーが生まれる、カメラを持って街に出てる感じ。
・その日にあったことをその日にかくのはきつい。記憶がフレッシュすぎて、朝からの連続性を書いちゃう。
・身近な人についてかくのが難しい。許可取るのも変だし。
身近な人の固有名について、内輪感やインナーサークル感がでちゃう。

質疑応答
・日記とセルフケアの関係
→自分ってこんなに気分の浮き沈みのある人間なんだと気付きがある。
自分の気分の上下を自覚できる。セルフケア、セルフモニタリングみたいな感じ。自分の状態を解像度高く認識できる、それがケアとして働いているのかは不明。
・他人の悪口、第三者に見られたらよくない文章ってどこかに書いてますか?
→どこにも書いてない。お金やセックスの話は直接書いてない。


クーラーの効いた部屋でメモしながら聞いてたけど、
やっぱりいこうと思い、着替えて下北沢へ向かった。
外にでたらやっぱり暑い。
下北沢、東急東横線にありそうな駅になってた。


日記祭の会場、昼時でめっちゃ人いた。日記について人と喋れたのがよかった。固有名詞の内輪感について、よく思わない人もいますよね〜。たしかにこのブログも途中から読んだ人わけわからんと思う。「ホタテくん」「ザヤ」って誰?
自分だったらその時点で読む気無くすと思った。

ブログを書く目的についても考えた。
1、自分のため
2、マイノリティの生き方の提示(っていったら大袈裟だけど!)
ゲイって存在するんだー!だったり、マイノリティの人ってこういう生き方もあるんだー!って思う人いるのかな。
そもそも中学生のころの自分はゲイって存在しないものだと思ってた&ゲイとしての生き方をひとつも知らなくて悩んでたから。

下北沢をぐるっとして帰る。

家に帰って買った本を読む。
解像度の話もそうだけど、見ず知らずの人の生活をここまで知っちゃっていいのだろうかと後ろめたさ?みたいなものを感じる。読むのを中断して散歩。その人の身近な人でさえ知らない事実とか、二言三言話した人間が読んでしまっていいのかという気持ち。ドキドキしながら読み切った。

おかえりの前に1クリックを!

今日は11km歩いた。
歩いてるとき、ブログ移行したいなーってことひたすら考えてた。

Bloggerのいいところ
・広告のないシンプルさ
Googleサーバに格納されてる(バックアップがある)
・HTMLで書ける
Googleフォトとの連携
・IP制限がかけられる

うーんと思ってるところ
・横のつながりがない
→いまのところブログランキングだけ。横のつながりがほしいだけなのにランキングって競争が発生してる感じがしていやだ。
あとSEOに弱いのか、Google検索からくる人があんまいない。
・URLを変えて無理やりスマホ表示にしてるのがうーんって思う。
・記事ごとにコメント欄を制限したい

はてなブログにも作ってみて、しばらくはBloggerと同時投稿、問題なさそうだったら移行。
よし、これでいこうかな!