宗教が気軽な存在になりつつある


早朝、ドキドキしながら四ツ谷にある教会へ。
一番うしろの席に座ってあたりを見渡すと、
祈ったり聖書を読んでいる人が多い。

入り口でもらった冊子には今週のミサの内容が書かれている。

鐘の音からミサが始まった。
「ご起立ください」「ご着席ください」とアナウンスに従い式は進行した。

ドラマ コウノドリに関連した「生命の尊さ」についてのお説教では静かに号泣してマスクは涙で濡れた。

聖体拝領の儀式、洗礼を受けていないので祝福を受けた。
洗礼を受けている人はパンをいただいていて、みんなマスクの下からさっと食べていた。

平和の挨拶の儀式では、周りの人との挨拶が急に始まった。
あわあわしつつ「主の平和」と言いながらを四方に挨拶をする。

式が終わり、みんなササッと帰っていった。


昨日今日と宗教行事に参加してみて、宗教は間接的に悩みを解決に導いて社会統合(社会適応)を助けてくれる存在なんだなーと気づいた。

自分のなかで宗教が気軽な存在になりつつあると気がついたのが嬉しかった。

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